作成:2012/11
更新:2012/11

1974年の出来事



     


 1月 6日  長崎県の軍艦島(端島)の炭鉱が閉鎖
 3月12日  元日本軍少尉・小野田寛郎さんが日本に帰還
 3月30日  ドリフターズから荒井注さんが脱退、志村けんさんが参加
 5月 9日  伊豆半島沖地震
 7月 7日  七夕豪雨
 8月 8日  アメリカ大統領 リチャード・ニクソンさん辞任
 9月13日  ハーグ事件
10月 6日  宇宙戦艦ヤマト 放送開始
10月14日  長嶋茂雄さん、現役引退
11月21日  長嶋茂雄さん、巨人軍監督に就任
12月 9日  内閣総理大臣 田中角栄さん辞任


* 長崎県の軍艦島(端島)の炭鉱
   
   端島(はししま)は、長崎市にある島 通称、「軍艦島(ぐんかんじま)」
   海底炭鉱によって栄え東京以上の人口密度を有していた
   閉鎖により島民が島を離れた為、現在は無人島である

   近代化遺産として、大正jから昭和に至る集合住宅の遺構としても注目されている
   廃墟ブームの一環でも話題に上がる。無人化の為建物の崩壊が進んでいる。
    ただし、外壁の崩壊箇所は一部修復されている。

   所有は三菱マテリアルが保有していたが、2001年(平成13年)、高島町(現在は長崎市)に無償譲渡された。
   島の南部に整備された見学通路に限り、2009年(平成21年)4月から観光客が上陸・見学できるようになった。
    ただし、風や波等の安全基準が満たされた場合のみ見学可能である。

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元日本軍少尉・小野田寛郎

   フィリピン・ルバング島に約30年間 潜伏していた元陸軍少尉
   当時、1972年にグアム島の洞穴から生還した、元陸軍軍曹・横井庄一さんの記憶が鮮明だった
   小野田さんは 敗戦を信じず、命令に従って戦い続けていた。(ゲリラ戦)
     島民の入山を拒み、威嚇し続けた、神出鬼没の元日本兵を村人は「ハボン」と呼んで恐れた。
   
   ルバング島・・・淡路島の半分弱の大きさ
            気温35度を超える、蒸し暑い、直射日光がきつい、虫が多い
            6割が山地となり、野生の牛や豚がいる
            バナナ、ヤシ、マンゴーなどが取れる

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ドリフターズ(通称 ドリフ)

   1969年頃まで音楽バンドを主活動とし、それ以降はコントグループとして活動
   

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伊豆半島沖地震

   午前8時33分頃 伊豆半島南端、石廊崎沖南南東35kmでおきた
   マグニチュード M6.8 静岡県賀茂郡南伊豆町で 震度5を記録
   山崩れなどが発生し、死者30名、全壊134棟、一部損壊240棟、全焼5棟など大きな被害を出した
       (山崩れ、がけ崩れは101箇所)
   地震により石廊崎から北西方向へ 長さ約5.5kmの断層が出現した。
   

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七夕豪雨
   
   7日午前9時から8日午前9時まで、静岡市の24時間連続総雨量は508mmを記録した。
     静岡地方気象台観測史上最高記録
   安部川、巴川では各所で決壊・氾濫が発生し、がけ崩れ、土砂崩れが発生した。
     死者27名、全壊・流出家屋数32戸、床上浸水11,981戸、床下浸水14,143戸の被害となった
   巴川は、流路勾配がゆるく、浸水被害を起こす原因となった。
    この災害をきっかけに氾濫防止のため、大谷川坊水路の建設が促進された。

   この豪雨により、静岡鉄道清水市内線と浅間山リフトが廃止された。
   この日、参議院議員選挙と静岡県知事選挙の投票日でもあった。


* ハーグ事件

  日本赤軍の和光晴生と奥平純三、西川純が、オランダのハーグにあるフランス大使館を占拠した。
  この時、オランダの警官2名が撃たれ重症を負った。(重信房子、吉村和江が共犯)
  犯人らは大使館員 11名を人質にし、身代金30万ドルと、日本企業の駐在員の誘拐をもくろむが失敗
  フランス当局に収監中の日本赤軍メンバーの山田義昭の釈放を要求。
  最終的に30万ドルを払い人質を解放、山田の釈放し、その後犯人は19日に逃亡先のシリアで投降した
  その影響により オランダは9月17日の女王によるパレードを簡素化することになった。