6月1日
6月10日
6月11日
6月15日
6月17日
6月30日
衣替え
時の記念日
入梅
父の日
山王祭
夏越の祓・名越の祓・大祓
花 ・・・ グラジオラス ・ バラ
誕生石 ・・・ パール ・ ムーンストーン
水 無 月(みなづき)
新暦では日本の6月は梅雨どきですが、旧暦の6月は梅雨が明けた夏の酷暑の頃。
厳しい日照りで水が干上がり、「水の無い月」でした。
衣 替 え
6月1日
制服のある学校や企業などでは、6月1日と10月1日に衣替えを行うところが多いです。
これは公家や武家で行われていた衣替えの風習の名残りです。
衣替えは、中国にならって平安時代の宮中で定着した習慣です。
「衣更え」「更衣」とも表記します。
古く宮中では、旧暦4月1日に冬装束を夏装束に、10月1日に夏装束を冬装束に、調度品とともに改めました。
実際には端午(5月5日)、重陽(9月9日)の節句に行い、季節の節目のお祓(はら)いの意味も込められていました。
江戸時代には、
4月1日からは冬の綿入れを脱いで袷(あわせ)を着る
端午の節句(5月5日)からは単(ひとえ)を着る・・・五月更衣
9月1日からは再び袷を着る・・・後の更衣
重陽の節句(9月9日)からは綿入れ(わたいれ)を着る
などと、幕府によって細かく定められ、衣替えが制度化されていました。
昔は残暑が長引いても、例年より早く寒くなってもかかわりなく、衣替えの日を守ったといいます。
時の記念日
6月10日
『日本書紀』の天智天皇10年(西暦671年)4月25日の項に
「漏刻(ろうこく:水時計のこと)を新しき台に置く。
始めて候時を打つ。
鐘鼓を動す」とあり、天智天皇が水時計を置いて、
鐘やつづみで人々に時刻を知らせた記述がみられます。
天智天皇10年の4月25日を新暦にあてると、6月10日になります。
時の記念日は、水時計を使って日本で初めて時刻が定められたのを記念する日です。
1920年(大正9年)、生活改善同盟会が「時間をきちんと守り、欧米並みに生活の改善・合理化を図ろう」として制定しました。
日本が開国して欧米文化を取り入れる前は、1日を12等分し、「子」「丑」「寅」などの十二支をあてはめて呼んでいました。
現在の午前零時を中心にした2時間・午後11時〜翌日午前1時までの「子」の刻から、午後9時〜11時までの「亥」の刻までです。
ちなみに「子」の字は、一(はじめ)と了(おわり)を組み合わせたものだそうです。
「午」の刻は午前11時から午後1時になり、その真ん中が「正午」で、午前と午後は「午」の刻からみて前と後ろを意味します。
入 梅
6月11日
暦の上では、立春から数えて135日目・芒種(ぼうしゅ)から5日目、太陽の黄経が80度に達する時を「入梅(にゅうばい)」としています。
この日から約1カ月が「梅雨(つゆ)」となります。
あくまでも暦の上の入梅であり、農民が梅雨入りを知る目安としたものでした。
気象上の実際の梅雨入りは、年や地方により異なります。
「梅雨」と書くのは、梅の実が熟すころに雨期に入ることから、
また、この頃は湿度が高く黴(かび)が生えやすい「黴雨(ばいう)」といっていたのが「梅雨」になった、などといわれています。
梅雨は東南アジア特有の雨期で、高温多湿な太平洋高気圧と冷たいオホーツク海高気圧の勢力が拮抗し、日本の南岸に停滞前線ができるために起きる現象です。
父の日
6月15日
6月の第3日曜日は「父の日」。父への感謝の気持ちを表して贈り物などをします。
父の日の習慣は、
母の日
と 同様にアメリカで始まりました。1909年(明治42年)、ジュン・ブルース・ドットという女性が、男手ひとつで6人の子どもを育て上げた父を思って「母 の日のように父に感謝する日をつくろう」と提唱したことがきっかけとなり、翌1910年(明治43年)に最初の父の日が行われました。
1916年(大正5年)頃には父の日は広く認知されるようになり、1972年(昭和42年)、当時のニクソン大統領によって6月の第3日曜が「父の日」として正式な祝日となりました。
ドットさんが墓前に白バラを捧げたことから、父の日のシンボルフラワーはバラとされていす。
山王祭
6月17日
山王祭(さんのうまつり)は、東京・永田町の日枝神社の祭礼で、
神田祭
と交互に隔年で本祭・陰祭を行います。
本祭は、子・寅・辰・午・申・戌の年になります。神田祭とともに、祭礼の行列が江戸城内に入ることを許され将軍上覧を得る「天下祭り」でした。
日本三大祭り(京都の
祇園祭
、大阪の
天神祭
、神田祭または山王祭)にも数えられます。
夏を迎える大祓(おおはらい)の神事「茅の輪(ちのわ)くぐり」で罪や穢(けがれ)を祓(はら)い清
祭りの最大の盛儀である「神幸祭(じんこうさい)」の巡幸は、都心に華麗な時代絵巻を繰り広げます。
山王祭は、江戸時代の三代将軍家光以来「天下祭り」として盛大をきわめました。山王祭は6月15日、神田祭は9月15日に、毎年、互いに豪華さを競い合っ ていましたが、ぜいたくを禁止した奢侈(しゃし)禁令に反するとして、幕府の命令により本祭は2年に1度、神田祭と交互の開催となりました。
「日枝神社」の名称は明治時代からのもので、古くは「日吉山王大権現社」「江戸山王大権限」、江戸っ子には「山王さん」の名で親しまれています。社の歴史 は鎌倉時代にさかのぼり、徳川家康の江戸入城に際し城内の紅葉山に新社殿をまつり、江戸の産土神(うぶすなかみ:生まれた土地の守り神)として、江戸一の 大社とあがめられていました。
夏越の祓・名越の祓・大祓
6月30日
古来、宮中では、年末と6月の末日に大祓(おおはらい)が行われていました。
年末は年越しの祓、6月は夏越の祓・名越の祓(なごしのはらい)、などと呼ばれ、災厄や穢(けがれ)を祓い清めました。
6月の末日は1年の真ん中、後半への折り返しです。
夏越の祓では、半年の間に積もった穢れを祓います。
大祓の日は、神社などで「茅の輪(ちのわ)くぐり」などの行事が行われます。茅の輪は竹を軸に茅(かや)を巻いて輪にしたもの。茅は葉先が剣のように鋭い ので、霊力があると考えられていました。鳥居や拝殿などに茅の輪を据え、くぐって身を祓い清めます。必ず左足から入り、右から左ヘ「八」の字を描いて3回 まわります。
また、穢や罪を人形(ひとがた)に移して川や海に流す「禊(みそぎ)」も行われました。